おはようございます。こんにちは。こんばんは。
ミッド(@mid_v_lab)です
コロナ対策についての雑感です。
理想と真実というと、ポケモンBWのイッシュ神話に出てくる一体の伝説ポケモンが、双子の兄弟の対立により、「レシラム」と「ゼクロム」に分かれ、争いを行っていたのを思い起こさせます。
求めるべきなのは、「理想」なのか?
求めるべきなのは、「真実(現実)」なのか?
この回答として、
どちらも正しく、どちらも間違い
と、私は思います。
重要なのは、「何を為したいのか」ということと、それを為すために「理想と真実」の中間点をギリギリ紙一重、ほとんど差異がなくなるまですり合わせること。
これをしないと、理想と真実で争い傷ついた後、残るのは「虚無」のみです。
コロナ対策の理想と真実は、例えば下記図のようなものがあるかなと思います。
理想 | 真実 | |
旅行 | 人流を抑えるので駄目 | 経済を回す&リフレッシュしたい |
飲食 | 感染リスクがあるので駄目 | 経済を回す&必要な人がいる |
アルコール | 騒ぐ人がいるので駄目 | 飲みたい!! |
ワクチン | 全員接種 | 打ちたくない、副作用あり |
オリンピック | 開催中止 | 開催実施 |
テレワーク | 全企業で実施 | 一部企業で実施 |
上げればきりがないですね。
理想は端的に言うと「全員家から出るな」ですし、真実は「家から出ないと生活できない」ですしね。
社会全体(政府)としては「理想」を追い求めている気がしていて、
各個人としては「真実」を求めています。
ただ上記でも述べた通り、どちらか一方を求めるのは間違いなので、この点は「理想」面をこういった理由で強くしたい、ここはないと困るだろうから「真実」面に寄せたいなどが必要です。
もちろん、ちょっとした人数でも集まって行動した結果、感染リスクが上がらないか?と言われれば上がる可能性がある、というのが真実ですよね。
でも、マスクなしの密閉空間でカラオケしたい訳じゃなく、感染対策をしながらリスクはあるけど「それ以上にやる価値がある」と思うから実施したい訳です。
「山に行ったら死ぬ可能性はないのか?」と聞かれたら、滑落などで死ぬ可能性はあるが、安全対策をしっかりしたうえで、山に登ったことで得られる様々なことの方が価値があると思うので、大変な思いをして山に登るのです。
感染対策したいから、「飲食店は20時まで」、「アルコール提供は〇〇が条件」で~、というのは(感染対策の理想として)分からなくはないのですが、他の部分で全然理想になってないじゃん!というところに、「何がしたいのか」というのが見えづらく、
ちょっとセンスないな
と感じることはあります。
とにもかくにも、「理想」が正しい、「真実」が正しいと、どちらかの視点だけに偏るのではなく、
理想も真実もあって、為すべきことを明確に、そこにおけるリスクと問題点を洗い出してギリギリまで議論した結果が、
「理想」だろうが、「真実」だろうが、どちらでもない「折衷案」なのか、
その点はどうでもよく、これがなされない限りは、
「虚無」という悲しい結果しかないのです。
オリンピック、やるんですかね・・・
すでにデルタ株の流入とかが報告されている訳なんですけど。やるならやるで、それは構わないですし、やるならテレビとかでチラ見するかもしれませんが、「理想」で終わらないように「真実」にもしっかり目を通して頂きたいですね。
オリンピックの後に感染者数が爆上がりで、「不要な外出を抑えてください!」と言われても、それは何の冗談ですか?という気分にしかならない。
ではでは